人の表情やら、音も聞こえてきそうな感じやね。
一澤 信三郎(いちざわ しんざぶろう)
株式会社一澤信三郎帆布店主
一澤 信三郎(いちざわ しんざぶろう)
株式会社一澤信三郎帆布店主
---主人公の大(ダイ)をどのように思われますか?
とことん突き詰めていくとこはすごいなぁ。まだまだああいう青年が、男女ともいるんやろうな。私らの時代も、地位やお金のためやのうて、青年は荒野を目指すというのはあったけどなぁ。
---貴社の職人さん達も、何かを目指してらっしゃる方ばかりではないですか?
彼らはものづくりが好きなんやろな。今の世の中はコンピュータ全盛やけど、うちはコンピュータ組み込んだミシンは1台もないんや。ミシン会社に勧められてコンピュータミシンを試してみたことがあるけど、コンピュータに慣れるとそれ以上のことができなくなる。そうすると人間が持ってる能力を殺してしまう。
うちの職人は自分の腕と技量で縫うてるんや。腕さえあれば、足踏みミシンでなんでも縫える。人間が機械に使われるんやなく、人間が機械を道具として使わんとな。
うちはものづくりも商いも世の中に何周も何周も遅れてるんや。モットーはな、みんなに言うてんねん、「時代の先取りなんかできんから、とことん遅れ続けよう」て。
---お店の近くには鴨川(京都)がありますが、河川敷でサックスを吹いたりしてる人はいるんですか?
おるおる。下手やで。笑 私が聞いて下手思うんやからほんま下手やで。結構吹いてるなぁ。学生にしろ、一般の人にしろ。
---ジャズはよく聞かれるそうですね。
車の中にはキース・ジャレットとかビル・エヴァンスとか入れてるんや。坂田明(ジャズサックス奏者)さんにもらったCDもたくさんあるで。京都にYAMATOYAいう古いジャズ喫茶があって、そこでたまたま坂田さんの話したら、古いジャズ雑誌に出てた若い頃の写真を切り取ってくれたことがあったんや。後日、坂田さんに「あんたのファンがおって、これくれたで」って話したら、京都で公演があるからそこへぜひ行きたい、と言うんで電話したんや。店は休みの日やったんやけど、坂田さんが来てくれるならと、開けて待ってくれて、YAMATOYA貸し切って坂田さんが吹いてくれたんや。おもしろかったな、ああいうの。
せやけど坂田さんのCDは、車で聞いたら交通事故おこしそうなほど激しいから、本人に「あかん、こんなん聞いてたら交通事故おこす」って言うたな。笑
---漫画の中のサックスも激しいですよね。
そうやね。人の表情やら、音も聞こえてきそうな感じやね。近所に住んでるうちの娘婿に1巻渡したら、読んで涙が出てきた、て。音が出ないのにそれを絵で表現する、難しいことに挑戦してんやもんね。みんながどんな音か想像するんやもんな。一回聴いてみたいけどな。
うちの親父はなんにでも関心ある人で、若かりし頃フィリピン人からピアノ習うててな、店でもずっと有線でジャズが流れてたんや。「ピアノは天分や」ってじきやめてしもたけど、この大さんだって、そうやんなぁ、楽譜読めるっちゅうのも後付けやもんな。
---貴社の職人さん達にも若い方がたくさんいらっしゃいますが、海外に出て行こうという若者に一澤さんがかけてあげる言葉はありますか?
自分のしたいなと思う道を突き進んだらええんや。次は何に生まれてくるか分からへんのやし。あんまり人を止めたりせえへんな。私が学生やった70年代は安保騒動の時代で、大学3回生4回生はほとんど授業がなかった。小田実(まこと)の「なんでも見てやろう」が流行って、渡航する人が多かったな。ヨーロッパまで飛行機で行ける時代やなかったから、ナホトカ経由でシベリア鉄道で行って。見たい分野や行き先はそれぞれ違ったけど、みんなそれなりに荒野を目指さないかんと思ったんやろな。
思い切って性格に合うたことしたらええわ。狭い所に逼塞してたらあかん。つまらんわ。
一澤信三郎(いちざわしんざぶろう)
株式会社一澤信三郎帆布店主
1949年生まれ。
京都自社工房で、職人たちと上質な帆布素材を使ったかばんを作り続けている。